嫌われる勇気 ありますか?
コロナ禍に翻弄された今年もゆったりと秋のお彼岸がすぎていきました。お元気ですか。
日本人は同調圧力がとかく強いために嫌われることを必要以上に恐れる人が多いように感じます。生き辛さを感じている人がたくさんいるのもそのためかと思われます。
そもそも嫌われることって「悪」なのでしょうか?
結論から言うと嫌われること自体は「悪」ではないと思います。ではどうして人は嫌われたくないと考えるのでしょうか。嫌われたくない理由は
- 人によく思われたい。
- 嫌われるとあとあと面倒。
- いじめの対象になってしまう。
- 仲間がいないと寂しい。
順番に考えていきましょう。
1.人によく思われたい。 |
人によく思われたいというのはだれでも感じる感情だと思います。でも、人に良く思われたいがために、自分の本心を偽ったり、無理して相手に合わせることは精神衛生上とてもストレスフルです。心にとっては良くないことだと思います。自分の感情や考えを正しく正確に相手に伝えることこそ、努力するポイントだと思います。ちょっと難しい言葉では「アサーティブ」なコミュニケーションと言ったりします。とかくこのアサーティブなコミュニケーションが日本人は不得意です。アサーティブな表現で、自分の心に素直に、感情的にならずに自分自身を表現できたら、きっと人とのコミュニケーションがもっともっと楽になるはずです。素直にまっすぐに自分の感情と考えを装飾せずに相手に伝えましょう。
2.嫌われるとあとあと面倒 |
特に学生や若い人は嫌われると集団生活が難しくなる可能性があります。グループ活動やサークル活動で一緒に行動する人がいないと何かと不便な場面があるかと思います。そういった場面のためにある程度の人間関係の確保は必要かと思います。
でも、よく考えてほしいのはある集団の中でその後のプライベートでいつまでも関わる必要のある人は何人いるでしょうか。2,3人の気の合った仲間がいれば十分ではないでしょうか。ことさら嫌われる必要はないけど、ことさら媚びる必要もないと思います。
3.いじめの対象になってしまう。 |
これは大問題です。学校、職場、地域でいじめの対象になったら、それこそ、そこから抜け出すのは至難の業です。いろいろな集団のいじめのでは、いじめる側に問題がある場合が多いです。できれば、そのような状況を賢く判断して、いじめそうな人には近づかないことが得策かと思われます。
4.仲間がいないと寂しい。 |
自分が自分らしく生きていれば、自然と輝いてくるものです。そんな輝いている人にはいつも間にか人が集まってきます。あなたのことが嫌いな人はあなたのそばには寄ってきません。だから、始めから嫌われる心配などないのです。
ここで大切なことを一つ話します。もし10人のグループで何かを決めるときに多数決になったとしましょう。民主主義のルールに従えば、決定するためには6人以上の賛成が必要になります。よく考えてください。6人が賛成ということは4人は反対ということです。民主主義の世の中ではどんなに頑張っても4人の反対者のなかでことを進める必要があります。要するに人には自分なりの考えがあり、集団でことを進めるためには最大49%の反対者の中で進んでいかなくてはならないということです。
つまり10人いたら4人に嫌われるかもしれないということは避けて通れないことです。
「嫌う」という言葉の定義と「反対」という言葉の定義は厳密には違います。でも現実問題としてマイノリティーも自分の周りにはかなりの量で存在するということです。
嫌われることは当たり前です。
当たり前といったら語弊がありますが、自分の周りに49%の反対者がいることは日常と考えなくてはならないということです。
自分らしく、自分に正直に、自分の信念に従って生活していても避けられないとすれば、それを受け入れるしかありません。そして何よりも、自分の最高の支持者である自分がOKならそれ以上頑張る必要も媚びる必要もないと思います。
わざわざ自分から嫌われに行く必要はないけど、自分に正直に生きていきたいと思います。
まだ、嫌われることが怖いですか?